兄の家族にみるおもしろ死生観
先週からめまぐるしい・・
義弟の入院から手術
それが終わったとたんに
私の兄が脳出血で運ばれる
どちらも覚悟が必要な状態
兄のほうは手術しなければ二日しか持たないだろう
それも延命措置でしかないと言われながらも
手術を選択した家族
二度目の発作、出血の場所、透析も受けている兄
85歳ということを鑑みて誰もが覚悟していた
ところが我が家はなぜか喜劇的一族
集えば、冗談が飛び交う
兄は超わがまま、
新しいもの好き、美味しいもの好き
そして何にでも興味を持つ性分
12違いの私も似たもの同士(^^)/
そうだったのね似てたのね、と今更。。。
先の脳出血からも無事退院して商売にも復帰していた
考えると85歳にしてそれも不思議( ;∀;)
そういうことで兄の家族は
もう死ぬことを前提としてというか
死を受け入れていた
なので、まだ命を閉じていないのに
私たちは思い出話
幸せな人だったよね、と
あれもこれも笑うことばかり
兄のわがままさえ笑いの種
なのに、いえ幸いなことに
あくる日手術用の管を外したら「携帯を持ってきてほしい」
と喋った!と連絡が入る
姪曰く「携帯を解約するところだった💦」
そこでまた私たちは大笑い
今日はなんと普通病棟に移ったと連絡が
これはもしかしたら歩いて帰宅できるかもしれない
いやいや、めでたい
いつ破裂するかわからない爆弾を抱えているものの
本当に歩いて帰ってくるかもしれない
決して死を望んでいるわけでもなく
兄を疎ましく思っているわけでもない
確かにわがままではあるが愛嬌のある人で
誰も死は望んでいない
だけどその死を”幸せな人”と面白く語れる
本人が楽しく生きていた証明なのかもしれない
考えてみると母も大往生だった
最後まで笑いの種を残していった
”笑い”は元気の素だ
誰かが言った(ドラマ風に言えば
悲劇は喜劇、だと
by tokinoyakata
| 2023-01-20 22:12
| きままなつぶやき