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螺旋の上のカタツムリ

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この世のあることないこと、自由気ままに

映画エルビス 私の考察2


なぜ、エルビスはマネージャーなどから利用されていると

わかっているのに離れることができなかったのか

私なりの見解を書いてみます


やはり一度高みに登った人は

その高揚感に中毒してしまうのではないかということ

たとえがとても小さなものになりますが

私たちがSNSの世界で

“いいね”をたくさんもらうと気分が良くて、

それもらいたさにエスカレートしていくという話は

よく聞きますよね(自戒を込めて)💦

小さな世界でもそうなんですから、

何千何万人の観衆から熱い反響があると

それはどんな強力な麻薬よりもエクスタシーを感じると思います


ライヴの時の充足感はいかほどのものか、

その深みに落ちていくのも想像できます

映画冒頭で、歓声を上げる女性の目に怖さを感じる、

とエルビスの母親が不安になる描写があります

中ほどで、エルビスの妻を

観客の女性の愛に負ける、という描写もありました

そこが要点だと思います。

エルヴィス・プレスリー - Wikipedia


ラストでパーカー大佐が、

人は私がエルビスを殺したというが、

エルビスのファンに与える愛のために彼は死んだと云います

私は犠牲になったのだろうと思います、それも愛なのですが・・


そこを巧みに利用したのがパーカー(ほんと腹立つ

パーカーなしでは興行ができないほどに食い込んでいるんですよね

たとえは悪いんですが

エルビスに薬(ライブの高揚感)を調達する売人みたいなものです

劇中のセリフでエルビスが

「人は迷い子を利用する」といいます

迷い子になっていると自覚していたのなら

なぜ、そこで修正しなかった、とこのおばちゃんは言いたい( ;∀;)

道はいくらでもあるのに・・

あの時代、アメリカも自由ではなく過度の道徳観、人種差別で

大衆は何かが間違えていると感じていたはずです

過度の正義感道徳観に陥っている人たちは

そうでない人々に憎しみさえ抱く

『イージーライダー』もそうでした

自由であろうとする若者たちを許せない”大人“が追い詰めていく

かたや『俺たちに明日はない』のポニーとクライドのように

飛びぬけてしまうと英雄視してしまう人々もいる

俺たちに明日はない - Wikipedia


そういう時代の流れのなかで

特に若者は屈折した感情を抱いていたときに

「俺に手を出すな」

「人の指図は受けない」

と彼が体制側に反旗を翻す姿に自分の代弁者だと感じ熱狂的になっていった

でもずるいんです、自分で言わないといけないこと

自分で伝えなければいけないことを人に代弁してもらう

そもそも、大衆はそれが甘い、

自分で声出さずに人に云ってもらおうとする

代弁者が言うことで自分が言った気になる

でも、ややもすると代弁者は自分が声を大にして言わないと誰が言う

声を上げることこそ正義だと思ってしまうのではないでしょうか・・

革命者でも大衆の熱気に踊らされてしまう

それが失敗に終わると大衆は去っていく

そこを見極めてショウーなんだと

エンターテインメントに徹することができたら

治療ドラッグの世話になり自らを消耗しなくても

ずっと私たちを楽しませてくれただろうにと思います

倒れたエルビスに治療ドラッグを打たせるパーカーと父親

アーティストは金を生み出す商品でしかない

ほんと胸が苦しくなる場面です


もう一つ書きたいこと

それはエルビスが女性たちの疑似セックスの対象にされたということ

若い女性はおろか、中年の女性も叫びだすそこにはエクスタシーしかない

キリスト教で性に対して厳しい戒律を課せられた鬱憤

レディファーストで陰に隠れている女性差別など


彼の歌に純粋な愛を求めたのならこうならなかったのではないだろうか

自分のエゴ、鬱憤、怒りをエルビスに対して求めたのは

大衆なのではなかったのか・・


エルビスは自分を犠牲にすることで

その時代の人びとを解放し、音楽の世界を解放した

のちのアーティストの刺激となり音楽の世界も広げた


神様はいつでも“選ばれし者”に厳しい

その厳しさを私たちが受けとめるために


黒人街で育ったエルビスは成功したからといって

黒人を差別しなかった

彼の声は愛にあふれている







by tokinoyakata | 2022-07-15 10:56 | 映画・ドラマ

by ウズメ