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螺旋の上のカタツムリ

tokinoyaka.exblog.jp

この世のあることないこと、自由気ままに

それでも空を目指す


「自由に生きるということは見た目よりしんどいこと」
確かにそうだ
まわりのことなど気にせず好きに生きている人もいるような気もするが
果たしてその通りなのか、私には解らない。
だって、周りのことを考えずに好きに生きたことがないから解りようがない。

周りの人からは好きに生きているよねぇ、とよく言われる。
まぁね、なるべく好きに生きようと思っている。
しがらみの間を縫いながら準備万端よろしく好きにしていても
その段階は人の目には見えない。
桜木紫乃(作家)さんが新聞のコメントに
「つながってもつながっても結局は分かり合えないのが人ではないでしょうか。
そこをどうやって折り合うか・・つながりって昔はしがらみと言っていたんです」
TVドラマのセリフで
「家族とはその人間のすべてを背負うもの」というのがあった。
愛(繋がり)の代償はおもくてやっかいだ。
タロットカードの「悪魔」はまさしくそれを言っている。
何かを受け取るには代償を差し出さなければならない
「悪魔」は善も悪も目指さないパワーの意味合いがある。
使いようによって善にも悪にもなる大きなパワー
自然界のパワーも意味する。

代償は愛でもあり、呪縛でもある。

しがらみも一つの呪縛だ
いくら自由に生きていても、この地球上で生きるからには
地球という環境は呪縛になる。
地球の環境なしでは生きられないのだから。

木が土に植わっているのと同じ。
小川のほとりに宿った木は春のような育ち方をする
絶壁に宿った松の木はくねりながらその環境に合わせて育っていく
形は違えども花も咲かせば実もつける
森に育つ木は押し合いへしあいしながら空をめざし枝を伸ばす。
一本だけゆうゆうと育つ木も枝を伸ばし空をめざす

呪縛から逃れられなくても
それでも空を目指す

ここから空をめざす

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by tokinoyakata | 2014-04-29 23:10 | きままなつぶやき

by ウズメ